霞ヶ関カンツリー倶楽部の「女性差別問題」は差別ではない

東京オリンピックのゴルフ競技会場に決まっていた霞ヶ関カンツリー倶楽部 (埼玉県川越市) が女性を正会員として認めていたかったことについて,IOCから「オリンピック憲章にそぐわない」と改善を求められ,3月20日に規約変更を決めた*1。 これに追随し,霞ヶ関CCに対して規約の改善を促す発言が東京都知事*2や五輪大臣*3などから相次いだ。 私は,霞ヶ関CCは合理性のない性差別を取りやめるべきだと思うものの,都知事や大臣などの公的機関が,その職権の行使ではないにしろ,改善を促す発言をするべきではなかったと考える。

霞ヶ関CCのような私立組織がその利用者を選別することは,本来的には問題でないはずだ。 彼らは商売としてゴルフ場を利用する権利を売っている。決して,すべての人が平等にゴルフができる機会を提供することを目的としているわけではない。そのような慈善活動は税金を使って公的機関が行えばいいのであって,私的機関までがそのような平等性を求められることは理にかなわない。

霞ヶ関CCで男性しか正会員になれないことが性差別になってしまうのであれば,他の多くの区別が性差別になってしまう。例えば電車の一部の車両に男性が乗車することを禁止したり,特定の曜日に映画館に行くと女性だけ割引価格で映画が見られたりするのは男性差別になってしまう。同じように女性差別になってしまうような例も,今自分には思いつかないがきっとあることだろう。 しかし,例えば女性専用車両は,痴漢犯罪を防止して,女性利用者を安心させ客離れを防ぐことや鉄道会社として犯罪に巻き込まれるのを防ぐことなど,経済合理性という目的のために設置されている*4。 映画館のレディースデーも,女性の方が価格弾力性が高く,値下げすることによって割安感を感じて却ってジュースやポップコーンを買ってしまうことが多く,結果的に収入を上げられるという経済合理性がある*5

このように,性別による区別は経済合理性のために多々行われるが,それはあくまで私的組織がその利益のために行っているだけである。私的機関は公的機関と違って,すべての人に平等に機会を提供する責務を負わない。

一般人がそれは問題だと思って霞ヶ関CCに抗議を入れるのは個人の自由だが,国や都などがその権威をもって公に不快感を表明するのは筋が違う。しかも,国や都は霞ヶ関CCに会場提供を依頼している立場であって,霞ヶ関CCに対してどうこう言える立場ではない。 都知事や五輪大臣が「女性差別」を問題だと思うのは自由だが,規約変更を促すのではなく,会場の変更を検討すべきだった。あるいは霞ヶ関CCに対して直接,改善を申し入れるべきだった。記者会見などのパブリックな場で懸念を表明するのはそぐわない。

霞ヶ関CCが,これほど問題になった以上,規約を変えて女性正会員を認めなければ今後の運営に差し支える,あるいは規約を変更しないままオリンピック会場から変更されてしまいそこで得るはずだった利益が得られなくなる,などといった経済的な理由から規約変更を決断したのだったらまだ良い*6。 しかし,国や都からの圧力を感じて仕方なく変更していたのだとしたら,これは重大な問題だろう。公が上で私が下,という権力構造の意識が双方に根付いてしまっていることが問題の根本であるように感じる。

*1:霞ヶ関カンツリー 規約変更し女性を正会員に認める決定 | NHKニュース

*2:東京五輪ゴルフ会場、女性の制限に「違和感」 小池知事 | 朝日新聞デジタル2017年1月13日

*3:丸川五輪相「憲章にかなう結論を」=ゴルフ会場問題で要望 | 時事通信2017年1月31日

*4:ただし,基本的には本当に経済合理性があるかどうかは重要であって,女性専用車を設置してみて利用客数が有意に増加していなかったり,あるいは経済の問題ではないが痴漢犯罪件数が低下していなかったりというように,性区別に合理性が見られなかった場合にはこの区別は撤去されるべきだとは思う。

*5:レディースデー -なぜ世の中では女性ばかりが優遇されるのか? | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online

*6:そもそも国や都といった権威が提起したせいでここまで問題が大きくなってしまったことを考えると,やはりそもそも大臣や都知事が適切でない発言をしたこと自身も問題と捉えるべきだとは思う。